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史実・運命を変えた稲荷神との出会い

  

津田潔志作「金運霊狐」 純銀製24金鍍金 <開運祈願済>



「神徳威霊祈祷する者必ず験有り」

岩崎弥之助(財閥グループ2代目総帥、男爵、日本銀行総裁、貴族院議員 1851-1908)が稲荷神について語ったことば




後醍醐天皇およそ稲荷神ほど無数の霊験譚に彩られた存在はないでしょう。古くから豪商や名家の守護神として祀られ、実際に財をもたらしてきました。また弘法大師空海が東寺の鎮守として祀って以来、真言宗の守護神として篤く崇敬されてきました。現在、某大手テレビ局や財閥系企業をふくめ、少なくない数の一流企業が稲荷神を祀り巨額の利益を上げている事実は、その凄まじい力の何よりの証明です。

稲荷神に助けられた最も高貴な人物といえば後醍醐天皇です。延元元年(1336年)12月、北朝方との対立が激しくなったため秘かに京都の花山院を脱出された後醍醐天皇は、真っ暗闇のなか道に迷われました。そのとき稲荷社の前で、「むば玉の暗き闇路に迷うなり我に貸さなむ三つのともし灯」と歌を詠まれたところ、紅い雲が現れ、吉野までの道を照らして導いたと「吉野拾遺」にあります。12月28日、後醍醐天皇は吉野の行宮に無事お着きになり、南朝を開かれました。

お薦めの本:『稲荷大神』 中村陽(伏見稲荷大社宮司)監修



挫折続きの中年男が巨万の富を築く

明治時代に巨大財閥を立ち上げた岩崎弥太郎が稲荷神を守護神として祀るようになったあと、突如として運が開けた事実があります。それまでは挫折につぐ挫折の半生でした。

天保5年(1835年)、土佐の貧しい地下(じげ)浪人の家に生まれた弥太郎は、辛く苦しい少年時代を送っています。地下浪人とは郷士の資格を失った者のことで、当時「貧乏神が両刀を差して歩いている」といわれたほど惨めな境遇でした。19歳のとき江戸で学ぶ機会を得たものの、父親が喧嘩で投獄され帰国する羽目になります。奉行所の裁きが不公平だと抗議すると弥太郎も投獄され、青春の日々を暗くジメジメした獄中で過ごしました。出獄後に藩有力者・吉田東洋の知遇を得て長崎に派遣されますが、無断帰国を咎められて罷免されます。そのうえ文久2年(1862年)、頼みの吉田東洋が暗殺されてしまいました。家で悶々としていると、参勤交代の隊列に加わり暗殺犯を探索せよと命じられました。復帰が叶ったと喜んだのも束の間、途中で書類上のミスを咎められ、強制帰国させられてしまいました。失意のうちに農村で田畑を耕していると、再度長崎に行く機会を与えられ坂本龍馬のもとで働きますが、龍馬は慶応3年(1867年)に暗殺されます。明治維新後も弥太郎は土佐藩で一生懸命働き、明治3年(1870年)には藩幹部である少参事にまで出世しますが、せっかく得た官職を翌年の廃藩置県ですべて失いました。すでに中年になっていた弥太郎は、当時としては格下の商人になりました。かなり遅い再スタートです。


このとき藩の借金肩代わりを条件に、大阪藩邸の払い下げを受けたことが弥太郎の人生の転機となります。藩邸に稲荷神が祀られていたのです。かつては藩主も礼を尽くした稲荷社を、弥太郎は自らの守護神として深く敬うようになりました。のちに弟の岩崎弥之助(2代目総帥、男爵、日本銀行総裁も務める)が「神徳威霊祈祷する者必ず験有り」と表現した稲荷神の威力は、確かなものでした。

龍が天に昇るような飛躍が始まったのはその時です。3隻の船で海運業をはじめた弥太郎は、明治政府が三井や鴻池ら豪商に作らせた「日本国郵便蒸気船会社」に挑みます。相手は国家を背景とする巨大企業でしたが、新興勢力の弥太郎が勝ってしまいます。明治7年(1874年)の台湾出兵では弥太郎が兵員・武器の輸送を引き受け、大久保利通や大隈重信の厚い信頼を勝ち取ります。翌年日本国郵便蒸気船会社は解散され、船舶18隻は弥太郎に無償供与されました。

その後海外航路を巡って米国のパシフィック・メール社との戦いに突入しますが、弥太郎は政府の全面バックアップを得て、逆に同社の上海航路を買い取っています。次に現れた英国のライバル社も、弥太郎の頑張りの前に撤退を余儀なくされました。弥太郎は稲荷神の見えない力に支えられ、連戦連勝で大躍進を続けます。

明治10年(1877年)、西南戦争が起きます。弥太郎は全船舶を軍事輸送にあてることを決意し、全力で政府のため働きます。戦いが終わったとき、弥太郎は現在の価値に換算すると数百億円の利益を手にしていました。翌年には東京都内の旧大名屋敷(後に3代目総帥の長男・久弥が本邸を建てる。画像:Wiii)や広大な庭園(六義園と清澄庭園)を買い上げたほか、鉱山など様々な事業に投資し、財閥グループの基礎を築きます。民間人としては最高の勲四等に叙せられる栄にも浴しました。

稲荷神を守護神としてわずか7年。挫折続きだった弥太郎は、日本一の海運王となっていました。



弘法大師空海空海が守護神として招く

真言宗を開いた弘法大師空海は稲荷神と深い縁で結ばれています。「弘法大師行状絵巻」などが伝える伝説によれば空海が和歌山県の田辺に行ったとき、稲を担いだ筋骨隆々たる老人に会いました。これが稲荷神だったのです。空海は稲荷神に「いま京の東寺という寺におります。ぜひお越しいただき、密教を守護してください」と依頼しました。すると後日稲荷神が、二人の婦人の二人の童子を伴って東寺に現れました。空海は喜んで歓待し、守護神になってもらったといいます。

爾来1200年、各地の真言宗寺院で稲荷神が祀られ、寺門の興隆を支えてきました。

現在でも毎年5月、伏見稲荷大社を出発した神輿が東寺の御旅所に寄り、東寺の僧侶から歓待を受ける稲荷還幸祭が行われています。



守護神を持つ方法

稲荷神の力をいただくには秘訣があります。

稲荷神は宇迦之御魂神などの神名を持つ神で、その神使が狐の姿の霊狐です。稲荷神眷属の霊狐は徳が高く、力が強く、心を寄せる人をよく助けてくれます。目撃談や夢枕に立った話、体験談は無数にあり、もっとも身近な神霊といえるでしょう。この二者は同一視され、霊狐が稲荷神として祀られているケースも多々あります。

稲荷神に祈ったとき実際に動いてくれるのは霊狐です。そのため助力を得るには、霊狐に好かれることが肝要です。これは国会議員に陳情するとき、担当秘書との信頼関係が重要になるのと同じです。霊狐が動いてくれて、はじめて願いが実現するのです。

弊社では著名な稲荷神社、または近所の縁ある稲荷神社で御札をいただいたあと、御札と一緒に霊狐像をおまつりすることを薦めています。願いを叶えてくれる眷属の霊狐を意識し、礼を尽くすことで、あなた様の守護神となってくれます。人間関係と同じで、大切なのは誠意です。霊狐と信頼関係で結ばれることで、人生が大きく動きはじめます



黄金に輝く傑作品

弊社では高名な造形作家・津田潔志氏に依頼し、高さ3センチの霊狐像を作り上げてもらいました。神々しさ、威厳、そして慈愛に満ちた姿は、過去一千数百年間に制作された霊狐像の中の傑作といっていいでしょう。人々に財をもたらす御神徳から「金運霊狐」とお呼びしています。口に咥えた巻物は、願いを実現する稲荷神の叡智を象徴するものです。

室内でおまつりするための天然木曾ヒノキで作られた枡がつきます。ヒノキの美しい木目や癒しの香りは、徳の高い霊狐にふさわしいものです。まつり方は簡単で、お部屋の清浄な場所に安置するだけです。

お届けする前に、伏見稲荷大社より勧請された弊社稲荷社で開運祈願を執り行っていますので、安心してお迎えできます。

ぜひこの機会に、あなた様の守護神を。



 

  

商品名:金運霊狐
商品コード:KR-711
価格:34,500円


津田潔志作 材質:純銀(SV925)製24金鍍金 高さ:30mm 重さ:約28g 天然木曾ヒノキ製5勺枡付


祈願のうえお届けします


ご注文、お問い合わせはお気軽に 03-3320-7722 までお電話ください




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