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文化勲章受章

北村西望作 福運(巳)

巨匠がつくりあげた、福運を呼ぶヘビ


古来ヘビは神の使いとして、また叡智の象徴
として崇められ、幸運を呼ぶとされてきました



清祓および開運祈願のうえお届けします



北村西望102歳時日本を代表する彫刻家

北村西望(きたむら せいぼう 1884〜1987年)は文化功労者として顕彰され、文化勲章を受章した日本彫刻界の泰斗です。

仏教を篤く信仰する長崎の名家に生まれた西望は、19歳で親に内緒で願書を出し京都市立美術工芸学校に入学します。そこで親友建畠大夢と出会い、良きライバルとして切磋琢磨し合いながら創作に熱中し、卒業制作では西望が大夢を上回って主席となりました。

卒業後大夢が東京美術学校(現・東京芸術大学)に進学すると、西望は仕送りを断たれて学費が払えないのに矢も盾もたまらず上京します。西望の窮状を知った大夢は「これで払いたまえ」と届いたばかりの仕送りを丸々渡したといいます。親友の助力もあって、またもや主席で卒業します。

西望は明治41年、25歳の若さで文部省美術展覧会(文展・現日展)に入選し、33歳の大正5年には特選で翌年早くも無鑑査となり、大正10年に東京美術学校の教授となります。 西望と大夢に朝倉文夫を加えた3人は「文展の三羽烏」と呼ばれ、昭和13年に国会議事堂に建てられた板垣退助翁像(西望)、伊藤博文像(大夢)、大隈重信像(朝倉文夫)を競作するなど近代彫刻の第一人者として活躍しました。

親友大夢は昭和17年に急逝します。西望は悲しみに暮れますが、親友への思いを創作にぶつけ数々の名作を世に出します。昭和30年には長崎市の「平和祈念像」を制作し、一般にもっとも知られた作品となりました。昭和33年に75歳で文化勲章を受章し、日展会長、日本彫刻会名誉会長などの要職を歴任しますが、老いてなお創作への情熱を燃やし続け昭和51年(93歳)には皇居新宮殿の「天馬」を完成させました。昭和62年3月、104歳の天寿を全うしました。



北村西望文化勲章受章
文化勲章受章を伝える昭和33年の読売新聞(写真右)



北村西望略年譜

明治17年(1歳)   12月16日、長崎県に生まれる(現同県南有馬町白木野)。北村家は白木野の豪農で仏教に篤く、西望は四男の末子である
明治36年(19歳)  京都市立美術工芸学校入学(彫刻科)。師の国安虎三郎、親友建畠大夢に囲まれて、創作に熱中する。日本画の同級生には川路柳虹、村上華岳などがいた
明治41年(25歳)  文部省第二回美術展覧会に「憤図」が初入選する
大正5年(33歳)   第十回文展に「晩鐘」が特選になり、翌年には早くも無監査となる
大正8年(36歳)   第一回帝展の審査員となる
大正10年(38歳)   東京美術学校教授となる。朝倉文夫も同じく教授になる
大正14年(42歳)  帝国美術会員になる。「母子像」「喜ぶ少女」等の傑作を世に出す
昭和13年(55歳)  「板垣退助翁」を国会議事堂内に設置
昭和22年(64歳)  日本芸術院会員となる
昭和30年(72歳)  長崎市「平和祈念像」完成
昭和33年(75歳)  文化功労者に顕彰され、文化勲章受章。日展が創立されると共に常務理事となり、以後日展を中心に旺盛な創作活動を示す
昭和44年(86歳)  社団法人日展会長となる
昭和45年(87歳)  社団法人日本彫刻会名誉会長
昭和47年(89歳)  長崎県島原城内に「西望記念館」完成。多くの作品を寄贈する

昭和49年(91歳)  日展名誉会長
昭和50年(92歳)  故郷の長崎県有馬町に「西望公園」完成
昭和51年(93歳)  新宮殿に「天馬」奉納
昭和52年(94歳)  広島平和公園「飛躍」設置
昭和53年(95歳)  信貴山「聖徳太子像」設置
昭和55年(97歳)  東京都「名誉都民」となる
昭和56年(98歳)  御岳山「畠山重忠像」設置
昭和58年(100歳)  日展「天女の舞」出品
昭和62年(104歳)  3月、天寿をまっとうされる



北村西望作 福運(巳)

21×12×14cm 材質:ブロンズ
桐箱 木製石台座付

216,000円(税込)



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