災厄から守ってくれる 「鍾馗さん」
SHOKI-SAN
津田潔志作 開運祈願済
実話? 古都京都で鬼を撃滅
小さなオジさんが、古い家の屋根の上で睨みをきかせているのを見たことはありますか? あれが鍾馗(しょうき)さんです。
広まったのは約二百年前。記録※によれば文化2年(1805年)の夏、京都三条の薬屋が巨大な鬼瓦を据え付けました。すると向かいの家の主婦が、急に具合が悪くなって寝込んでしまいました。診察した医師が指導したのは、鍾馗さんで鬼に対抗すること。言われたとおりに鍾馗さんを安置すると、主婦はアッという間に全快したのです。
「鍾馗はん、鬼より強い」の噂は京の町を駆け巡ります。経済的に余裕のある家は「ほんならウチも魔除けに」となり、あちこちの家の屋根の上に鍾馗さんが衛兵のように立つようになりました。今では京都だけでなく、近畿・東海一円でみることができます。
※ 石塚豊芥子編 『街談文々集要』
鍾馗さんを旗印とした前田利家 |
鍾馗さんを認めた玄宗皇帝 |
少しせつない鍾馗さんの恩返し
鍾馗さんを世に出したのは唐の6代皇帝・玄宗(685~762)です。熱病で寝込んでいたとき、玄宗は夢のなかで鬼たちにイジメられます。そのとき大きな目をした筋骨隆々の男があらわれて、鬼たちをボコボコにして撃滅してしまったのです。驚いた玄宗が何者かと問うと、男は「鍾馗と申します」と折り目正しく答え、官僚登用試験に落ちたことを恥じて百年前に宮中で自殺した者だと述べます。不合格の理由は「顔が怖すぎる」だったそうで、心優しい鍾馗さんは深く傷ついてしまったのです。ところが初代皇帝・高祖はそんな鍾馗さんをあわれみ、手厚く葬ってくれました。感激した鍾馗さんは「必ず恩返しするのだ!」と固く心に誓い、精霊となって昼も夜も警備するようになりました。律儀な鍾馗さんは、玄宗の代になってもしっかり守っていたのです。
玄宗が夢から醒めると、熱病はすっかり治っていました。深く感じ入った玄宗は絵師をよび、鍾馗さんの姿を描かせて魔除けとして臣下に下賜しました。ここから鍾馗さん信仰がはじまります。
日本には平安時代に伝わり、戦国時代には前田利家と本多忠勝が鍾馗さんを旗印にしました。前田利家が加賀百万石の太守に昇りつめたことも、本多忠勝が生涯に57回も合戦に出て無傷だったことも、広く知られた史実です。江戸時代になると鍾馗さんは、子供の健やかな成長を願って端午の節句(5月5日)に飾られるようになります。現代でも災厄消除や受験合格の守り神として多くの人に愛されています。
名匠の傑作を開運祈願
弊社のほうで造形作家として高名な津田潔志氏に「お客様のお宝となる鍾馗さんを」と懇請したところ、かわいらしい姿から真っすぐな人柄が伝わってくる傑作が誕生しました。
棚の上や玄関などに安置して、大切にしてあげてはいかがでしょうか? 信義に厚い鍾馗さんは、きっと一生懸命守ってくれるでしょう。
開運祈願のうえお届けします。ぜひこの機会にお迎えください。
津田潔志作 「鍾馗さん」
商品コード:SS-505
価格:12,980円
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