願いを叶える
伝説の密教法具
話題の商品!
重要文化財 飛行三鈷杵(ひぎょうさんこしょ)写し
埒孝美作 「導きの三鈷杵(さんこしょ)」
純銀製 24金鍍金
弊社オリジナル商品 写真
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恵果和尚から密教法具を授かる空海
学問の天才・空海は僅か数ヶ月で梵語をマスターし
千人以上の弟子の中から後継者に選ばれた
携帯に便利なサイズ。最高級のお守りに
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由緒ある逸品です
清祓および開運祈願のうえお届けします
高野山伝燈大阿闍梨・菅澤照真師 |
三鈷杵の力
人々の願いを叶えるため、燃えさかる炎の前で修される護摩祈祷。その実像は秘密のベールに包まれていますが、実は真言密教の多くの流儀で、護摩祈祷のとき手にするのは密教法具の三鈷杵(さんこしょ)です。真言僧は、三鈷杵を手に護摩祈祷を修し、次々と願望を実現させているのです。
これは三鈷杵が、思いを実現する強烈な力を発揮することを意味します。真言密教の祈祷は完成されたシステムであり、目的達成ため合理的に作られています。護摩祈祷のとき三鈷杵を手にするのは、それが最も効果あるからです。
蘇悉地経は密教法具の力として「是善成就者」「能成諸事」「悉能成就諸余事等」などと明記しています。
これを現代的な表現に直すと次のようになります。
・仕事がうまく行く、成功する ・あらゆる願いを叶える ・悪事災難から守り、困難を切り抜けさせる |
弘法大師空海は806年(大同元年)10月22日付で朝廷に提出した「御請来目録」の中で、「限りない幸福と利益をもたらし、魔軍を催滅する※」とそのパワーを絶賛しています。
さらに重要文化財・飛行三鈷杵写しであるこの三鈷杵には、空海を導いた下記の伝説が示すとおり、人生を良い方向に導く不思議な力があります。人生はさまざまな選択と出会いで形作られますが、そこに神秘的要素があることは誰しも感じるところです。入試、ビジネス、縁談、就職などで正しい方向に導かれたいとき、「導きの三鈷杵」「三鈷杵ペンダント」は大いなる力を発揮します。
※「受持頂戴福利無極外催滅魔軍内以調伏煩悩」 空海(806年)『御請来目録』
空海を高野山に導く
いまを去ること1200年前の806年(大同元年)、空海は日本に帰るため中国・明州の港にいました。師の恵果和尚から密教のすべてを授けられ、後継者として20年の留学期間を大幅に短縮しての帰国でした。その胸には燃えるような情熱が秘められていたことでしょう。
空海は師から授かった密教法具の三鈷杵(さんこしょ)を取り出すと、「密教を広めるのにふさわしい地に導きますように」との願いを込めて東の空に力一杯投げました(右絵)三鈷杵は流星のごとく飛んで行きました。
それから10年後の816年(弘仁7年)、空海は高野山「三鈷の松」にこの三鈷杵がかかっているのを発見したといいます。左は松の木にかかった三鈷杵を満足そうに見つめる空海です。彼は三鈷杵が導いたこの地に真言密教の道場を開いたのです。
現在の高野山(YouTube リンク)
空海が投げたとされる三鈷杵は実在のものです(重要文化財・飛行三鈷杵) 空海はこれを真然(804〜891)に授け、その後中院別当、定観、雅真(〜999)、仁海(951〜1046)と伝わり御影堂に奉安されていました。1088年(寛治2年)白河上皇が持ち帰られ1世紀以上皇室が保有されていましたが、1253年(建長5年)高野山に戻っています。
現在は高野山の至宝として厳重に保管されています。滅多に公開されることはありません。
密教の頂点に立つ者が受け継ぐ
実はこの三鈷杵こそ、密教の頂点に立つ者が代々受け継いできた特別の法具だったのです。その歴史は空海の時代からさらに数世紀さかのぼります。
『竜馬がゆく』などの名作で知られる日本を代表する歴史作家・司馬遼太郎の文を引用します。
「あらたに密教正嫡の阿闍梨の位についた空海が、正嫡の阿闍梨として持たねばならぬ付属品がある。日本の天皇家の例でいえば皇位継承のしるしである三種の神器のようなものであるといっていい。八種あった。この八種はインド僧金剛智が南インドから唐に渡ってくるとき請来したもので、それが相続の印可として金剛智から不空に伝えられ、不空から恵果に伝えられ、恵果から空海に伝えられた。恵果から空海に伝えられる場合、海を渡ってしまうため、唐にはもはや密教正嫡を証明するこの八種のしるしは存在しなくなる。このことを思うと、恵果が空海に相続させたという事柄そのものが尋常でないことがあらためて知らしめられる」
司馬遼太郎(1978)『空海の風景〈下巻〉』
名匠の力作
弊社では原型師として名高い埒孝美師に依頼し、この伝説の三鈷杵を二寸半およびペンダントサイズで格調高く再現いたしました。
材質は「富貴を求めば、純ら銀で作れ」という蘇婆呼童子経の教えに従い純銀(SV925)を使用し、24金鍍金およびロジウムコーティングで仕上げました。
805年(延暦24年)に空海が授かったときそのままのような美しい姿。「導きの三鈷杵」「三鈷杵ペンダント」はたいせつな宝物になることでしょう。
ノーベル賞作家・川端康成が愛用
ノーベル文学賞を受賞した川端康成も三鈷杵を所有し、文鎮として愛用していました。『川端康成全集』第三巻(昭和44年刊行)の口絵には愛用の三鈷杵の写真が使われており、川端自身が解説で、
「金剛杵はもとはインドの武器であるが、密教の法具となつた時は、象徴的な形を取つて、煩悩の賊を討ちほろぼす具とした。<略>
杵や鈴を身邊におき、机上に使つても、それらの法具の心はなんとなく通つて来る」
と書いています。あの美しい川端文学を導いたのは三鈷杵だったのかも知れません。
古美術に造詣の深かった川端は随想集「月下の門」の中で次のようにも述べています。
「古美術、あるひは骨董といふものは、最もいい時代の、最もいい作家の、最もいい作品を、これが私に與へられた教訓である。三流品や四流品でも『楽しめる』とよく言ふが、楽しめるでは趣味や道楽で、楽しめるにとどまるだらう。いいものに出会ふと自分の命を拾つた思ひがある」
「導きの三鈷杵」は生まれたての新品ですが、現代最高峰の原型師が心血注いで作り上げた逸品です。川端康成にプレゼントしたら、きっとにっこり微笑んで喜んでいただけたと思います。
このレベルの貴金属工芸品としては格安のお値段でご提供しております
清祓および開運祈願のうえお届けします
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飛行三鈷杵にまつわる詩歌 明神譲與す萬許町、雲に入る三鈷懸つて松に在り。 宮内権少輔藤原俊國 千年の清操雲衝に聳ゆ、三鈷松蟠まって其の勢ひ殊なり。枝上に徘徊す深夜の月、老龍吐き出す一団の珠。 澤庵 剣は落つ大瀧の峰、杵は懸る高野の松。干天に霖雨足る、瓶外に眞龍あり。 東福寺虎関 生因巳に熟して都率に至り、手裏の金剛飛んで光りを放つ。瑞気尚ほ残る野山の寺、一株の松籟扶桑に響く。 大徳寺一休 |
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